煎茶道の歴史は、今から1200年以上前から始まります。
805年に延暦寺の開祖 傳教大使最澄上人が入唐求法の際に、天台山より茶の実を持ち帰り、日吉の神様の御意思により日吉茶園を開きました。
これが、日本における『お茶の発祥』であり、煎茶道の起源であります。
815年には日吉茶園のお茶を煎じ、嵯峨天皇に献上しました。嵯峨天皇はたいそう喜ばれ、以来日吉の神様に献上するようになります。
お茶は大変高価で貴重な物であり、また現在のように飲み物と言うよりは薬に近い存在でした。
時は過ぎ、鎌倉時代に臨済宗の開祖、栄西が宋より抹茶を持ち帰り、僧侶を中心に身体に良い薬として抹茶を飲む習慣が広がります。室町時代には足利義正が四畳半の草庵の茶の湯を提唱し、豊臣秀吉が天下人になった時、秀吉の茶頭となった千利休が茶道を確立してゆきました。
茶道は、武士の間で広がり、しきたりを重んじる武家の作法となっていきます。
煎茶道の開祖は、江戸時代四代将軍家綱に招かれ京都の宇治に黄檗宗の黄檗山萬福寺を開いた隠元隆琦とされています。
この頃既に茶道の世界において形式化が進みつつあったことへの反発に加え、煎茶自体が当時最新の中国文化であったことなどから、形式にとらわれずに煎茶を飲みながら清談を交わすいわゆる「煎茶趣味」が文人の間で急速に広まりました。江戸の中期になると高遊外 賣茶翁により、それまで中国文化の模倣の域を出なかった煎茶趣味の世界に独自の方向が示され、さらに煎茶は江戸や京都・大阪を中心に上流階級に広く普及してゆきました。
黄檗賣茶流は、その高遊外 賣茶翁の志を継承し、黄檗山萬福寺の茶頭が司る茶礼を独立し流派として開いた煎茶道です。
平成の時代になり、立礼のお手前になった黄檗賣茶流は、もてなしの心を重んじ、心豊かに会話を楽しんで、自由闊達な形態を、かつて文人墨客が小さな磁器の碗で茶を喫し、仲間との清談を楽しんだ風景を大事にする煎茶道として活躍しています。
最澄上人以来、多くの人々が関わってきた歴史のある煎茶道であり、隠元禅師、そして賣茶翁の意思を重んじ、日本に御茶を伝えた最澄上人の御恩に報い「日吉茶園」の御茶を日吉の神様に献茶するお祭り、献茶祭を取り行っています。